ちょっといい話

第24回

東北、被災地の旅行で感じたこと


11月2日から2泊3日で、弁護士会の元役員仲間と飯舘村、南相馬、石巻、女川、南三陸を訪ねました。大震災から2年半余り。被災地を訪ねながら、少しはそこでお金を使おうかという目的の旅です。以下はそのルポルタージュです。
福島で新幹線を下り、同行者の知人の元県幹部の方からお話を伺いました。除染が進まないことが最大の問題とのことでした。次いで、原発を目指して車で高原地帯へ入り、飯舘村内の「許可車両以外は通行禁止」のゲートで止められるところまで走りました。阿武隈高原は、低い丘陵、雑木林と田畑、村落が交互に続き、日本のどこにもあるのどかな風景が続いていました。しかし、人の姿がないのです。ときどき見るのは除染作業に従事している人で、ところどころに見える青いビニールシートで覆った小山のようなものは、持って行き場のない汚染土壌とのことでした。ススキやセイタカアワダチソウが生い茂り、荒れるに任せるしかない田畑と無人の集落がどこまでも続きます(立派な家が多く、豊かな農村だったことが分かります)。次第に私たちの口数は少なくなっていきました。放射能は中和したり洗い流したりすることはできません。田畑はともかく雑木林や丘陵地帯をどうやって除染するのだろうか、数十年、数百年のうちに人が住むことのできる土地に戻すことができるのだろうか、そんな思いに沈んでいきました。本当に暗澹たる気持ちになりました。
南相馬、石巻、女川、南三陸は津波の被害地です。さすがに石巻の臨海工業地帯は復旧が早く、製紙工場などが盛んに稼働しているようでした。しかし、津波で押し流された民家のほとんどは土台だけが残っている状態で、そこが家の建ち並んだ住宅地域だったとは信じられないような変わり果てた姿でした。車は、リアス式海岸にそった道を北上しましたが、湾の奥にある集落という集落がほぼすべて沿岸部を根こそぎやられていました。報道で有名になった石巻市立大川小学校を訪れたときには、鉄筋コンクリートの校舎をも破壊する津波の破壊力に衝撃を受けるとともに、犠牲になった多くの児童(全校児童107名中74名が犠牲になりました)に心からの祈りを捧げました。
しかし、復興への確かな息吹も感じました。石巻では、丁度お祭りの武者行列が被災地を練り歩いていました。仮設商店街「マルシェ」ではライブが催されており、私たちも「マルシェ」で、全国B1グルメ大会で賞を取ったという「石巻焼きそば」を食べました。また、南三陸では、これも保存の是非を巡って関心を集めた防災庁舎の西(陸)側に大規模な仮設の「南三陸さんさん商店街」が開設されており、当日は日本シリーズを大画面のライブで中継するとのことで大いに盛り上がっていました。もちろん東北楽天の応援です。自然の力に比べれば人間の営みはささやかですが、大災害にもめげずに立ち上がりつつある被災地の皆さんの心意気にこちらが励まされる思いでした。
同じ被災地といっても、原発事故による放射能汚染地と津波の被災地では全く異なります。どちらも未曾有の大災害ですが、私は津波の被災地は遠からず必ず復興することを確信しました。しかし、原発事故だけは取り返しがつかない(小泉元首相もたまには良いことを言う)。そんな思いを強くした旅行でした。地震列島の日本と原発が両立するのだろうか、のちの世代に責任を負う私たちは、今一度真剣に考えてみなければならないと感じました。
(弁護士 山田幸彦)

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