ちょっといい話

第20回

判決文を考える材料に


私は、現在、ある愛知県内の大学で、学生たちに法律(科目としては、刑事訴訟法)を教えています。
最近では、弁護士会の法教育委員会の仕事で、他の大学の授業に参加させていただく機会もありました。
今回は、そうした機会に私が感じたことをお話ししたいと思います。

授業で使う教科書や参考書には、裁判所の判決文が紹介されていることがあります。
裁判所の判決文と聞くと、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。
もしかしたら、公正な裁判所が決めたルール・結論であり、正しい「答え」が示されたものだと思われるかもしれません。
私が接した学生たちの中にも、そのように考えている学生がいました。
判決文に示されたルールや結論を、正しい「答え」として覚えようとしているのです。

確かに、判決文は、司法権をつかさどる裁判所が、紛争の終局的な解決手段として示したものです。
先例としての意義は、重要なことが多いでしょう。
しかし、決して、絶対的な正解ではありません。実際に、重要な問題について、それまでの判例と違う判断が出されることもあります。

ですから、判決文は、無条件に「答え」として覚えるものではありません。
学生たちには、判決文の事例を題材として、当事者の気持ちに思いを馳せながら、それぞれの立場で気持ちを代弁してもらいたいと思います。
そして、それぞれの立場を尊重しながらも、どのような解決ができると一番よいのかを真剣に議論し、自分の頭で考えてもらいたいのです。
議論をすれば、大事なものが見えてきます。
判決文は、覚えるものとしてではなく、考える材料として使えるとよいのではないでしょうか。

(H25.7.6 弁護士 山田陽介)   

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