ちょっといい話

第17回

「メンコウ」って呼ばないでください


 私は、家庭裁判所の調停委員もしているのですが、調停委員の控室でのことです。

世間では「コンカツ」「アラフォー」などなど、古い人間には聞きなれない言葉が行き交い、なんだか嫌だなぁと常々感じていた私ですが、同僚の調停委員が「メンコウ」と言うのを聞いたのです。

すぐに何のことを指すのかは分かりましたが、その同僚が、気持ちが若くて世間の傾向に敏感に反応しているのか、それとも、専門家意識がつい出てしまったのか、いずれにしても、私は、「コンカツ」や「アラフォー」とは違った、もっともっと嫌な気持ちになってしまったのです。

「面交」と書いてもまだ分からない人が多いかと思います。でも、「面会交流」と書けば多くの方はお分かりでしょうか。

 両親が離婚している場合、あるいは、離婚はしていないが両親が別居中の場合、通常、子どもは一方の親(監護親)のもとで生活しています。その場合、子どもと暮らしていない方の親(非監護親)と子どもが会って交流することを「面会交流」と言います。

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 今、家庭裁判所の調停で、一番いろんな意味で大変なのは、「面会交流」をめぐる両親対立の案件なのです。

 私が弁護士になった昭和40年代には、夫が別居中の妻に対して、「家」意識から長男を妻には渡せないという人はいましたが、子どもは自分自身が育てたいという気持ちで、離婚後の子どもの親権を要求したり、別居期間中の子どもの監護を要求して子どもを引き渡すよう要求するケースは、ほとんどなかったように思います。別居中、子どもと会うことを要求して「面接交渉(奇妙な呼び方ですが以前はこう呼んでいたのです)調停」を申立てる人もほとんどありませんでした。

 母性神話(子どもが小さい時は母親が育てるべき)がまかり通っていて、要求しても無理だと思ったのかもしれませんが、そもそも、昔は、子どもの養育について父親があまり関心がなく、子育てに日常的にかかわる父親が極めて少なかったという事情があったからだと思います。

 そういう意味では、親権や監護を要求し、面会交流を強く求める父親が非常に増えたということは、良いことかもしれません。

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 では「面会交流」案件は、何故、大変なのでしょうか。

実は、多くの場合、監護している方の親(今でも母親が多いですが、父親が監護している場合も同じです)は、相手に対する強い否定的な感情から、子どもを相手に会わせたくないと思っているからです。

そして、ほとんどの監護親は「私が会うことを拒否しているのではない。」「子どもの意思で子どもが会いたいといえば会わせる。」と言い、「でも、子どもは全く父親(母親)のことを口にしない。」「子どもは父親(母親)を嫌っていて、会いたくないと言っている。」などと主張するのです。

私が、「メンコウ」と聞いて、とても嫌な思いをしたのは、当事者である両親の気持ちを考えて、「メンコウ」などとなんだか「軽く」扱われていて気の毒だという気持ちからではないのです。

「面会交流」のことを思うと、私の胸は、いつも、とても、痛くなるのです。

それは、両親の葛藤の渦の中で、身も心も傷ついている「子ども」のことを考えるからなのです。

だから、「メンコウ」と聞くと、子どもが大事にされていないように感じて、とても、とても、嫌な気持ちになるのです。

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さて、この続きは、次に、私が担当するときに書くことにします。

その間、どうぞ、みなさん、想像してみてください。子どもは、どんな気持ちでいるのかを。そして、別で暮らしている両親は、子どものために何ができるのかを是非考えてみてください。

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