ちょっといい話

第12回

刑事裁判の最大の使命とは?


 みなさんは「刑事裁判の最大の使命」は何と思われますか?

 もしかしたら、「事案の真相を解明」することや「悪い犯人を処罰」することであると思われた方がいるかもしれません。

 しかし、刑事裁判の本質は、もっと別のところにあります。
 刑事裁判の手続について定めた刑事訴訟法の第1条を見てみましょう。

 刑事訴訟法第1条には、「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを目的とする。」(*注 下線は当職が付記)
と書いてあります。
 法律の書きぶりからすれば、事案の真相を解明すること、また、犯人を処罰し、市民が安全に暮らせる社会を作ることも、確かに刑事裁判の使命の1つと言えそうです。

 しかし、私たちが何よりも注意しなければならないのは、こうした「真実の解明」や「犯人の処罰」は、あくまでも「基本的人権の保障」が全うされているという前提でなければならないということです。

 言い換えれば、いくら真実を解明し、犯人を漏らさず処罰するためであっても、真相を聞き出そうとするあまり自白を強要したり、怪しいけれども犯人とは断定できない人を処罰したりすることは、絶対にしてはなりません。
 そんなことをしていては、足利事件のように、いつか、必ず、無実の人を処罰し、冤罪という極めて深刻な人権侵害を生むことになるからです。

 かつて私が山田万里子弁護士と担当した事件の中にも、コンビニ店員をしていたごく普通の真面目な青年が、店のお金を盗んだと疑われた事件がありました。
 彼は、逮捕される前から一貫して無実を主張していましたが、警察官も検事も、頭から彼を犯人と決めつけ、彼の言葉には全く耳を貸しませんでした。
「こんな小さな事件には構っておれん。はよ認めてくれんか。」
「認めれば罰金ですぐに出られる。」
「新しく決まった職場にも迷惑をかけずに済むだろうに。」
 留置場に閉じこめられ、警察官から毎日そう聞かされている中で、彼は、全くの無実であるにもかかわらず、
「こんなに辛いなら、罪を認めて早く外に出た方がよっぽどマシだ。」
と何度も思ったそうです。
 結果的に、彼は最後まで身の潔白を訴え、1年以上の裁判を闘ってようやく「無罪」となりました。
 しかし、もし、彼が取り調べで「自白」(やっていないことを認めるという意味での自白)をしていたら、あるいは担当裁判官が別の裁判官であったなら、彼は、無実の罪によって「有罪」となっていたかもしれません。

 私たちは、誰もが犯罪被害者になりうるのと同じように、誰もが冤罪の対象となりうるということを、決して忘れてはいけません。
 上記青年のように、いくら真面目に普通の生活を送っていたとしても、いつ、どこで冤罪に巻き込まれるかは分からないのです。

 私を含む多くの人は、凄惨な事件のニュースを聞いたり、何の落ち度もなく事件に巻き込まれた被害者の話を聞いたりすると、一刻も早く「事案の真相を解明」し、「犯人を処罰」して欲しいと心から願うでしょう。
 それは、ごく自然な人間の感情でもあります。

 しかし、感情は、ときに冷静な判断を見失わせる危険があります。
 冷静な判断を見失えば、逮捕された人が「限りなく怪しいから」「他に犯人が見つからないから」というだけで有罪にされかねません。
 冤罪は後を絶たなくなります。

 刑罰は、人の自由を奪い、ときには生命までも奪います。
 だからこそ、無実の人が処罰されることだけは、絶対にあってはなりません。
 刑事裁判の最大の使命は、「何があっても冤罪だけは絶対に阻止する」、「誰一人として冤罪被害を生まない」という点にこそ、見出されるべきです。
 それが、刑事訴訟法第1条にいう「基本的人権の保障」を「全う」するということです。

 「疑わしきは被告人の利益に」
 -刑事裁判の鉄則であり、冤罪を阻止するための最後の砦です。
 しかし、弁護士として実際に刑事事件を担当していると、日本の検察官や裁判官は、本当にこの鉄則を、「鉄則として」理解しているのだろうかと、疑問に思うことがよくあります。
(H24.4.3 弁護士 山田陽介)

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